フー・キャン・アイ・ビー・ナウ? / Who Can I Be Now? – ボウイ訳詞集

フー・キャン・アイ・ビー・ナウ? / Who Can I Be Now? - デヴィッド・ボウイ詩篇集成

フー・キャン・アイ・ビー・ナウ? / Who Can I Be Now?

[原詞はlyricsfreak.com掲載分より]

Everybody’s raised in blindness
Everybody knows it’s true
Everybody feels that everything is real
Any body’s point of view

だれもが盲目に仕立てられたのさ
みんなそれが真実だと知っている
だれもがすべてを現実に感じているんだ
だれかれの眼差し

Nobody can break their bondage
Everyone can feel their chains
But even in my life, I knew you found your sight
And nothing would be quite the same

だれも束縛などできるわけないさ
みんな鎖につながれているくらいは感じられるだろ
だが僕の人生でさえもね 目のまえで君自身を見つけるとわかっていたよ
なにもかもが今までとは違うんだってね

Please help me
Who can I be now? You found me
Who can I be? Fell apart, you found me
Now can I be now? You found me
Now can I be real?
Can I be real?
(Somebody real)

力を貸してくれないか
だれに僕はなるべきか? 君が僕を見つけた
だれになれば ばらばらにして、またつなげ合わせる
だれに僕はなるべきか? 君が僕を見つけた
いまの僕が本物なのか?
僕が本当なのか?
(本物のだれか)

Hmm, if it’s all a vast creation
Putting on a face that’s new
Someone has to see, a role for him and me
Someone might as well be you

万物創造の時に及んで
新しい顔で覆うことにするさ
だれかにわかっておいてもらわなければ 彼と僕の役柄をね
彼とは君そのものかもしれない

Up in heaven, any angel
Writes a special game to play
Oh oh, could we, could we
Make a star to snatch their angels, boy?
Played your role for every day

天国にいる天使どもは
駆け引きの脚本を書きまくる
いいかな、僕らは星になれるだろうか
天使役のパートをひったくってやるさ
まいにち君は主役を果たしたんだ

Please help me
Who can I be now? You found me
Who can I be? Fell apart, you found me
Now can I be now? You found me
Now can I be real? Can I be?

力を貸してくれないか
だれに僕はなるべきか? 君が僕を見つけた
だれになれば ばらばらにしてまたつなげ合わせるんだ
だれに僕はなるべきか? 君が僕を見つけた
いまの僕が本物なのか?
僕は一体

Who can I be now? You found me
Who can I be? Fell upon, you found me
Now can I be now? You found me
Now can I, can I be real? Can I be real?

だれに僕はなるべきか? 君が僕を見つけた
だれになれば ばらばらにしてまたつなげ合わせるんだ
だれに僕はなるべきか? 君が僕を見つけた

Can I be real? Can I be?
(Who)
Can I be? Yeah, yeah
(Now)
Yeah, can I be?
(Now)
You found me
(Now)
Can I be free?
Can I [unverified]

いまの僕が本物なのか?
僕が本当なのか?
僕は一体・・・

訳詞にあたって

『Diamond Dogs』というアルバムを語るとき、多くの人がオーウェルの『1984年』からの着想を得たことを指摘するが『Young Americans』というアルバムを語る際に、文学的なインスピレーションを指摘する評論ないし考察を、よそでは聞いたことがない。タイトルどおりアメリカの音楽、フィラデルフィア・ソウルや黒人音楽がやりたかったんだよ、という意見が大半だが、ボウイの創作がそれほど安直なコンセプトワークで済むと考えるのはいかがか。『Young Americans』とは『タイタンの妖女』はじめカート・ヴォネガット・ジュニアの文体やジョン・アップダイク、ソール・ベロー、フィッツジェラルドらアメリカの現代文学への共感がはちきれそうに詰まったアルバムだと、個人的に考えている。

アルバムからはオミットされてしまった「Who Can I be Now?」だが、この曲も例外でなくヴォネガットの文体を彷彿させたり(天国にいる天使たちがゲームに興じている)、ベローの『ハーツォグ』のように主人公の内面へ内面へと潜り込んでいく。けれども筆致は深刻というより軽やか、アルバム全曲を通じて歌詞は重たいテーマもヴォネガット作品に通底するような、さらっとしたユーモアに富んだ文体で読ませてしまう。

なぜ「Who Can I be Now?」が『Young Americans』に収録されなかったのか、本当の理由はわからないが、推測するに、仮面の告白的なアプローチは前作『Diamond Dogs』までの手法として、一旦終わりにしたほうがいいだろう、と歌詞の内容から取りやめたのかもしれない。「いまの僕が本物なのか?」「束縛なんかできるわけない」。ドラッグによる不安や強迫性障害とアメリカ文化にふれる興奮が、交互にボウイを包み込むような、そんなイメージがあると思う。